先日ラジオ深夜便を聞いた。
55分にトイレに起きると、その時間に5分間ニュースを放送するのでそれを聞いて止めることにしている。 しかし、先日は五木寛之氏の人生を振り返る対談がそのあとあるというので、前回に続いて聞くことにした。 毎月末の日曜日に放送している。 氏の生きてきた時代とは6年位の差があるが、大体はその時代背景を理解出来、思い出すことが出来るので興味深い。
上海、ピョンヤンで暮らしたことのある氏はロシア文学を志していた。 それらの土地とにている北海道は北大でロシア文学を専攻したかったが、苦学のためアルバイトができなければだめだった。 北海道でアルバイトができるか不安だったので、東京なら何とかなると、早稲田に進んだそうだ。 早稲田の名前からたんぼのなかにある田舎の大学という印象を持っていたとの言にはそういう想像も働くものかと感じた。
氏の父親は食いっぱぐれのない手に職を持たせたかったという。 そして知人の大工さんと既に話をつけてあったそうだ。 ある時、息子をその大工に紹介したことがあったという。 そういう父親に対し五木氏は「大学に行きたい」 と言った。 父親は 「よし、ならば一つだけ約束をしてほしい。 学費を出せる状態ではないから自分で苦学をしろ。 入試がだめだったら大工になれ。」 とのことであった。 結論としては合格し、一期分の学費と寮費は父親が出してくれたのだ。 その後は苦学で卒業したというわけだ。
五木氏はじっさいのところ試験はそんなに難しくは感じなかったそうだ。 氏の思い出の曲として3曲、美空ひばりの 「越後獅子」、 津村謙の 「上海帰りのリル」、 伊藤久男の 「あざみの歌」 だった。 いずれも知っている曲である。
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